Country Booby since 1975

Tony Rice

 トニ−・ライスは1951年6月8日、ヴァージニア州に生まれた。ブルーグラスをはじめたのは、アマチュアのブルーグラスミュージシャンだった父親の影響からだという。その後、一家はロサンジェルスに移住する。1960年、ロサンジェルスのラジオ・ショーで、当時16歳のクラレンス・ホワイトの演奏を聴いたトニ−・ライスは衝撃を受け、ギターにのめりこんでゆく。クラレンスの弾くマーチィンD-28は憧れの的であった。運命的な出会いの後、トニ−・ライスはクラレンスからマンツーマンでくり返しレッスンを受け、ギターの弾き方やフレーズのみならず、音楽に対する姿勢を学んだ。(うらやましい)
 トニー・ライスが本格的にフルタイムで演奏活動をはじめたのは、1970年になってからである。はじめて参加したバンドは、ブルーグラス・アライアンス。メンバーはトニ−・ライス(ギター)サム・ブッシュ(マンドリン)ロニ−・ピアーズ(フィドル)イーボ・ウォ−カー(ベース)バディ・スパーロック(バンジョー)だった。バンドの評価は高く人気もあったが、収入面では苦しい状況が続き、トニー・ライスはメンバーのサム・ブッシュと共同生活をはじめた。その期間、二人は自分たちの演奏に生かす糧として、ブルーグラスにとどまらず様々な音楽に触れたという。 音楽で食べて行くのは、アメリカでも大変なんだね。趣味で音楽を続けるのが一番幸せかもしれません。
 1971年トニ−・ライスはブルーグラス・アライアンスを抜けて、ケンタッキー・マウンテン・ボーイズに参加。このバンドは、1年後にJ.D.クロウ&ニュ−・サウスに改名した。メンバーは、J.D.クロウ(バンジョー)トニ−・ライス(ギター)リッキー・スキャッグス(フィドル・マンドリン)ジェリー・ダグラス(ドブロ・ギター)ボビー・スローン(ベース)。1974年に録音したアルバム『J.D.クロウ&ニュ−・サウス』はベスト・セラーとなる。シンコペイトしたフレーズ、ツボを得たタイミング、そして美しい音色・・・・。トニ−・ライスの即興的なギタープレイは、ブルーグラス・ギターに新たな世界を広げた。ほんとに、初めて聴いた時にはびっくりと、気持ちよさが体を突き抜けて行ったのを覚えています。
 1975年の日本公演を最後にトニ−・ライスはニュ−・サウスを抜け、サンフランシスコへと向かった。デヴィット・グリスマンと新しいアコースティック音楽『ドーグ・ミュージック』をつくり上げるためだ。デヴィット・グリスマン・クインテットのオリジナル・メンバーは、デヴィット・グリスマン(マンドリン)トッド・フィッリップス(マンドリン)トニ−・ライス(ギター)ダロル・アンガー(フィドル)ジョ−・キャロル(ベース)で、1976年には日本公演を行い、衝撃的なデビューを飾った。  グリスマンの独特のリズム刻みとトニ−ライスのシンコペーションした曲奏がかっこよいです。ミュールスキナーでクラレンス・ホワイトが入っていた演奏も素敵ですよ。
 1979年になると、トニ−・ライス・ユニットを結成し、より深く自分の音楽を追い求めて行く。この頃のサウンドはスペースグラスとトニ−・ライスは呼んでいます。もう、ジャズの領域ですね。とても、コピーしようとは思いませんし、できません。聴いているととても気持ちいいです。BGMにピッタリ。J.D.クロウ(バンジョー)トニ−・ライス(ギター)ドイル・ローソン(マンドリン)トッド・フィリップス(ベース)ボビー・ヒックス(フィドル)バッサー・クレメンツ(フィドル)ジェリー・ダグラス(ドブロ・ギター)のオールスター・キャストは、『ブルーグラス・アルバム・バンド』として1981〜1996年に6枚のアルバムをレコーディングし、古いブルーグラスのスタンダード・ナンバーを題材にした演奏を聴かせてくれる。この6枚が一番好きかもしれません。なんか、ホッとします。かっこいいブルーグラスです。(K)
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