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【数字、アルファベット】
107 SONG BOOK
 1976年に出版された、ナターシャーのソングブック。ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズの作っ「ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ・ソング・ブック」を手本にして作成され、ザ・オリジナル・カーター・ファミリーから世界各地の歌、日本の地方の古い歌まで、当時のナターシャーのレパートリーの内の107曲が収められている。初版の表紙は薄茶色で10,000部の限定発売、終わりのほうにはたづるさんの手刷りの版画が1枚づつ貼ってあった。第2版の表紙は緑色。
107 SONG BOOKシリーズ
 「107 SONG BOOK」をシリーズ別に録音。1976年12月発売のVol.1「陽気に行こう」から始まり、3ヶ月に1枚のペースで発売し、1979年6月のVol.11「想いでの赤いヤッケ」で完結。レコード大賞の企画賞を受賞した。
 後に「完成記念発表会」のおまけLPがつき全集のセットとなって再発売。さらに1999年には全集がCD化された。
Vol. 1「陽気に行こう」
−オリジナル・カーター・ファミリーをお手本に編
Vol. 2「フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン」
−5弦バンジョー・ワーク・ショップ編
Vol. 3「陽のあたる道」−オールド・タイミー&ブルー・グラス編
Vol. 4「きれいな娘さん」
−ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ編
Vol. 5「春を待つ少女」−オリジナル・ソング編
Vol. 6「ハンぷティ・ダンぷティ」−マザー・グース編
Vol. 7「山と川」−フィールド・フォーク編
Vol. 8「お!スザンナ」−アメリカの古い歌編
Vol. 9「八丈太鼓ばやし」−地方の古い歌編
Vol.10「道」−世界のうた編
Vol.11「想いでの赤いヤッケ」−完結編
【あ行】
アサップコンサート
 1981年より4回、群馬県嬬恋村の浅間園で開催された野外コンサート。第1回('81/8/9)には私もスタッフとして参加した。第2回('82/8/1)では台風の直撃を受け、電車も止まってしまい、その日のうちに京都に帰る予定だったともやさんを京都まで車で送っていったのは、岡崎からスタッフで参加していた私の友人だった。
いこまいか椛の湖ピクニックコンサート
 1978年から岐阜県坂下町の椛の湖で開催された、野外コンサート。第1回('78/8/5)には自切俳人とヒュ−マンズー、ザ・ナターシャー・セブン、杉田二郎、ダウンタウン・ブギウギ・バンドが参加。ファンの素行に問題があったという噂だが、3回目からはDTBBは参加せず、森山良子、永井龍雲などが出演した。自動車の乗り入れを規制し坂下駅からピクニックをしながら登ってきてくださいということだが、非常にしんどかったです。
井芹まこと
 ナターシャー結成当時のメンバー。フィドラー。
笠木透
 1937年、岐阜県恵那郡岩村町に生まれる。岐阜大学卒業後、教員、出版社員を経て、フリーに。中津川フォーク・ジャンボリーを企画・制作。フィールド・フォークを提唱。我夢土下座(カムトゲザ)を結成。フォークスのリーダーを経て、ソロに。
我夢土下座
 岐阜県中津川で、笠木透、田口正和を中心に活動していたアマチュアグループ。
金海たかひろ
 ナターシャーの初期メンバー。マンドリン担当。
木田たかすけ
 1949年新潟生まれ。東京芸術大学打楽器科出身。ベース、パーカッション、ピアノ他を担当。宵々山にははじめはゲストで参加。75年頃から正式にメンバーとなり、107 SONG BOOKシリーズではプロデュース、アレンジを行う。。元「ジャックス」のメンバーでもあり、編曲家としても「出発の歌」「神田川」などフォーク、ニューミュージックの名曲を数多く手がけたが、80年惜しくも交通事故で亡くなった。?「Dog's Map and Cat's Map」というオリジナルアルバムがある。?
北山修
 元フォーク・クルセダーズのメンバーであり、教科書にも載っている「あの素晴らしい愛をもう一度」などを作詞。九州大学大学院 人間環境学府・研究院 教授。
【さ行】
榊原詩朗
 ザ・ナターシャー・セブンの所属事務所の社長であり、宵々山コンサートのプロデューサー。'82/2/8のホテルニュージャパンの火災により亡くなる。この事件がナターシャー解散の原因だといわれる。
坂庭しょうご
 1950年京都生まれ。京都産業大学出身。京都フォーク界の重要メンバーとして「マヨネーズ」「クライマックス」の一翼を担う。「花嫁」の作曲・演奏で71年、紅白に出場。73年から参加の「ナターシャセブン」では主にマンドリン、ギターを担当。
自切俳人
 ヒューマンズーのリーダー。北山修氏の友人らしい。「自切俳人のゴールデン・アルバム」という快作があり、「ヒューマンズ−◎オリジナルベスト」というCDも発売中。
城田じゅんじ
 1949年静岡県生まれ。京都産業大学出身。「ナターシャセブン」の結成時からのメンバーで5弦バンジョーの名手。83年に脱退後、渡米。現在は "Jody's Heaven" というユニットでアイリッシュミュージック界では世界的に有名なギタリストとして知られる。また年に一回は帰国し、坂庭さんとのツァーを行っている。ソロアルバムで「Soft Shoes」がある。
シングル文庫
 107 SONG BOOK シリーズ完結の後を受け、1979年あき1号の「私に人生といえるものがあるなら」から1980年なつ5号の「君よそよ風になれ」までは2ヶ月ごとに発売。なぜか最後の1980年ゆき「街」だけは5ヶ月空いている。B面(もう死語?)の「もうひとつのノイズシリーズ」が好きでした。
進藤さとひこ
 ナターシャーのファンだったのが、いつのまにかスタッフになり、その後79年頃、正式メンバーになる。ベース、バンジョーを担当。今では二児の父親だそうです。
ソフトシューズ
 1981年発売の城田じゅんじさん初のソロアルバム。週刊プレイボーイで「城田じゅんじのバカテクに注目!」と紹介されていた。
【た行】
高石とし子
 高石ともやの実妹。ヴォーカル。「谷間の虹」、「明日になればね」などを作詩。
高石ともや
 1941年北海道生まれ。68年、「受験生ブルース」がヒットしたが、翌年渡米。帰国後、福井県名田庄村に居を構え、京都を本拠地に活動再開。71年、「ザ・ナターシャー・セブン」を結成する。トライアスロン、ウルトラマラソン、鉄人レースなどにも挑戦している。
テレビファソラシド
 1979年から81年頃に掛けてNHKテレビで放送された、バラエティ番組。司会 永六輔さんとNHKの女性アナウンサー、加賀美幸子さん、広瀬久美子さん、桜井洋子さん、頼近美津子さん、安藤恵さんらが出演していた。私はこの収録に行き、加賀美アナの陰に隠れてしまい、まったくテレビに映らなかった。そして頼近さんのファンになった。
【な行】
名田庄村
 福井県遠敷郡。ともやさんは1970年から13年間名田庄村で暮らした。ご存知の通りザ・ナターシャー・セブンの名前はこの地名をもじったとのこと。
【は行】
椛の湖
 岐阜県恵那郡坂下町。1969年から3年間、「全日本フォーク・ジャンボリー」が開かれ、1978年から4年間は「いこまいか花の湖ピクニックコンサート」が開かれた。今ではオートキャンプ場となっっているが、ステージでは、年に何回かコンサートなどが開かれている。
ヒットエンドラン
 1982年発売のLP。個人的には「ちょっとだけ恋人」が好き。
東理夫
 おもにベースを担当。どちらかというと助っ人というイメージが強い。カントリー評論家、ミステリ作家として活躍。
ヒューマン・ズー
 1976年の「宵々山コンサート」に突如現われた。ヒューマン・ズーのメンバーは?ヒューマンズではありません。
フォークス
 1985年、笠木透坂庭賢亨・赤木一孝・進藤了彦・安達元彦で結成。89年より松崎博彦が加入。ナターシャなき後のともやさんにはないグループ活動の楽しさを継承した。91年解散。
ホテルニュージャパン
 
1982年(昭和57)年2月8日深夜3時25分ころ、東京赤坂のホテル・ニュージャパンでイギリス人男性が泊まっていた部屋から火事が発生、非常用設備の不備のため、火はまたたく間に燃え広がり、、従業員による避難誘導もなかったため、死者33名・重軽傷者34名(内消防隊員7名)の大惨事となった。このホテルはスプリンクラーはまともに設置されておらず、防火扉はヒューズが切れていて不作動、自動火災報知器はスイッチが切られていて動作せず、非常放送設備は故障の為使用できず、ということでなんともひどい防災体制で当局からも再三の指導を受けていたが、全く改善がされてなかった。
 実は私、榊原さんにここでご馳走になったことがあります。お手伝いをしていたコンサートの打ち合わせだったと思いますが、ベニヤがむきだしの狭い通路を通って行った記憶があります。
【ま行】
円山公園音楽堂
  ご存知、宵々山コンサートの会場。ナターシャーファンのメッカ。
【や行】
山西哲郎
 ともやさんのランニングコーチ。「いこまいか」の1回目にもランニングコーチとして参加。当時は群馬大学助教授で現在は教授。
宵々山コンサート
 祇園祭の前々日に行われるために故榊原詩朗さんが命名。1973年7月15日の1回目から始まったが、第13回の1985年で一時中断する。しかし1994年に復活した。1998年にはナターシャセブンが再会を果たして2000年には通算20回を迎えた。
 2001年6月に過去に発売されたLPと1998年〜2000年の宵々山、プライベート・コレクションといろいろな話芸を加えて、26枚組というCDが発売された。
【ら行】
【わ行、ん】